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人の所在は不思議である。 あるべき場所が見つかることはなかなか難しいけど、 置かれた場所を愛することも一つのあるべき場所を見つける方法。
夜遅くは気弱に夏を振り返る
私は小さい、でも私の頭の中は無限大。 死んでもずっと無限大だったら、怖くない。 私は、孤独じゃない、ずっとこの記憶をもって世界を眺めていけるなら、一人でも怖くない。 空気無くても宇宙へ飛び出しても、何億年生きても、宇宙が滅びるまで生きても怖くない。
人は、最初も最後も一人である それは、命の一個性という点で誰もがあてはまる。 ただ、命として紡ぎだされた瞬間からは 誰かの何かの縁にからめとられているのだから、 糸が途切れる瞬間までは、 世界の中に深く編み込まれているのである。
当時私は8歳でしたが、子供だからと言って無知のままでいていい訳はありません。 全ての残酷な時代に子供だった私達へ。
雨が降る前には、世界は雨のにおいで充満する。 ピアスを片方落としてきた。 物を失うことは、何かの代償なのだと信じている。 もっと大切な何かを無くさずに済んだのだ。 去っていくものには去る理由がある。
全うするということは、それだけで素晴らしいことである。例えば災害などで、いつ何時、人は突然の死を迎えるかわからない。これは、若いころには全く思いが及ばなかったことである。自分の体をわざと傷つけるような行為が、どれほど親を悲しませるのかは、自分が親になってみて初めて、理解できたことである。若者の、わざと命を無為にするような行為を悲しむのも、本当の意味で命を削ることのつらさ、なすべきもなさを知ってからである。 …それでも、必死で今を吸い込み、必要以上にめちゃくちゃにエネルギーを振り回して自爆してしまう若さには、誰もが共感してしまうだろう、それは過去の自分だから、当然である。
別れは往々にして突然訪れるが、喜ばしいものもある。次のステップに足を踏み出す彼との別れは、寂しくもうれしい。彼方に広がる世界の輝きは、そこに目をやる者にだけ、まばゆく映る。顔を上げない者には、決して訪れない光だ。
分からないことが沢山ある。 ずっと、「さっぱり分からないことだらけじゃないか!」と思いながら、死んで、何もなくなるんだろうか。 それは、とても寂しいような気がする。 でも、きっと最後まで私は知らないこと、わからないことだらけでいると思うんだ。
私たちは、あまりにも無知で、あまりにも傲慢で、そしてあまりにも無神経な人種である、日本人である私たちは。